2009年12月12日

一般に多毛類・貧毛類(ミミズ類)・ヒル類

一般に多毛類・貧毛類(ミミズ類)・ヒル類の3つの群をこれに含め、それぞれを綱として立てる。このうちで多毛類がもっとも環形動物の形の基本に近いものと考えられる。貧毛類とヒル類は、外見的にはより単純であるが、内部構造では体節の分化も進んでいて、より発展的なものと考えられる。

他に吸口虫類が独立の群として、それにムカシゴカイなどを原始環虫類としてそれぞれを独立した綱と認めて立てる場合があったが、現在ではこれらは多毛類の一つと見なされることが多くなった。ユムシ類も環形動物の1つの綱として位置づけられていたが、現在ではこれはむしろ独立した門と見なされることが多い。ただし、環形動物とは近縁であると考えられている。

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他に、有鬚動物は特殊な構造の動物として有名であるが、近年ではこれも多毛類の1つと考えられることがある。そのほかに、螠虫動物門や、星口動物門も環形動物に入れる事もある。

ミミズ、ヒル類は雌雄同体だが、他の環形動物は雌と雄の区別がある(雌雄異体)。
いわゆる旧口動物である。体節制が発達していることから、節足動物と近縁性が、海洋性のいくつかの種にはトロコフォア幼生になるものがあることから軟体動物との近縁性が古くから主張された。しかし、このうちの節足動物との近縁性は近年否定される傾向がある。他方、軟体動物との近縁性は現在も認められている。軟体動物の一部に見かけ上の体節制的な特徴が見られることから、体節制を持つ祖先からこの二つ(あるいは節足動物を含めて三つ)が分かれたと考えられていたが、現在では軟体動物の体節制が疑問視されている。

2009年12月01日

精神病

常用者はもちろん、週1回以下の時たまの吸引でも、離人感・パラノイド・現実感喪失などの、バッドトリップ(嫌悪反応)と呼ばれる急性症状を起こすことがある。 また、統合失調症などの精神病の危険因子であるとされている。
2003年秋までの253本の論文をまとめたスウェーデン政府の報告書では、大麻は違法薬物の中では精神疾患との関連が強く、様々な精神疾患を発症するリスクは、ヘロインよりもはるかに高いとしている。日本では、主として大麻で全国の精神科有床医療施設で治療を受けている者の17人のうち10人は、精神病との診断を受けている。
行われた7つの疫学研究を総合することで、大麻常用者は精神病発症リスクが2.9倍と見積もられている。また、若年者の大麻摂取は精神病発症のリスクを増大させると指摘されている。現在知られる害の中では、依存症をはじめとする精神疾患の発病・悪化が最大と思われ、因果関係は不明だが大麻乱用の多い英国の精神科集中治療室の患者の多くは、大麻使用者である。が、入院患者の多くがアルコールなどの精神病の起因となりうる他のドラッグも併用している。

2005年のニュージーランドの研究では、1265人を対象に25年間のアンケート(精神病の診断は行わなかった。)による追跡調査を行った。これを統計的に分析した結果、精神病的症状を発症するリスクは1.6?1.8倍であるとしている。しかし、大麻を時折しか使用しない人の大多数は、永続的な身体的・精神的障害を受けることはない。
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2008年11月に精神医学イギリスジャーナルで掲載された論文[61]では15000件以上の文献を収集し、その中から選別された13件の長期研究の検証を行った。その結果、大麻と精神病との因果関係が不明瞭なままであり、また交絡因子の調整も不十分であるとして、「大麻と精神病との関連性は信頼性に乏しい。」と結論付けている。
うつ病に関しては、大麻がうつ病のリスクを増さないという報告[63]と増すという報告[64]がある。後者では、若い女性に対し、大麻成分カンナビノール(THC)の摂取量が大きくなるにつれて、うつ状態に陥るリスクを有意に高めたが、前者では大麻成分カナビジオール(CBD)がうつ病のリスクを回避し改善されることが追認されている。

2009年11月27日

医官

医官(いかん)とは、医師の資格を有する幹部自衛官のこと。軍医に相当する。なお、歯科医師の資格を有する者は「医官」とは別の制度である「歯科医官」となる。
防衛省、自衛隊の陸海空医官(自衛官)になるには、防衛省所管の防衛医科大学校を卒業するか、医師の免許を持つ者が防衛省の公募する医科歯科幹部採用試験に合格することが必要となる。

防衛医大卒業生は、卒業と同時に陸海空のそれぞれの幹部候補生となり、「曹長」の階級が与えられる。幹部候補生学校は6週間で、ごく通り一遍の幹部自衛官としての教育を受けるが、体験入隊に毛の生えた程度の域を出ない。そもそも、一般幹部とは、仕事が大きく異なり医師としての仕事をするから、体力的な訓練、統率や指揮などの教育もあまり必要ない。
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幹部候補生学校の卒業と同時に、2等陸・海・空尉に任官して、研修医官となる。旧軍でも医科大学卒の者の軍医としての振り出しは軍医中尉からであったが、これは医師という特別な技能を有する者について、兵科将校とは別に尊重する必要があるためである。

昔は、ほとんどが防衛医大の研修医になったが、今は自衛隊中央病院と半々である。研修医のマッチングは行われていないが、現在は厚生労働省の定める研修内容に沿った研修が行われている。
どこの病院の研修医でも事情は同じだが、防衛医大の研修医官の勤務時間は、週平均90時間ほどで、非常に過酷な仕事を強いられている。
2年の実務研修が終わると、1カ月ほど各部隊で健康診断を実習し、それぞれの部隊に配属される。

2009年11月13日

社会状況

企業においては、1990年代後半からはデフレーションに対応する形で、優良企業では有利子負債の圧縮が進展し、高度経済成長末期から続いていた日本企業の過剰なレバレッジ体質が抜本的に転換され、財務体質が改善された。この企業行動は当時においては停滞の要因であったものの、財務基盤が強化された強力な企業群が形成された。流動資産を抱え込み過ぎて資本効率の低下した企業も生まれ、流動比率が高すぎる場合には遊休資産が多いとみなされ、買収の標的になるとの指摘もなされた。

労働面では、他の世代に比較して世代人口の多い1970年代生まれが社会に出る時期であったにもかかわらず、企業が採用を削減したことから就職難が深刻化し、就職氷河期と呼ばれる状況が続いた。長期にわたる不景気がデフレーションを誘発し、労働者の給与は減少傾向をたどり、非正規雇用によるサービス業従事者が増加した。
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消費者の観点からいえば、デフレーションによる低価格で質のよいモノやサービスを提供する企業が増えていった時代である。衣料品ではユニクロが、小売業で100円ショップが広がっている。また、温泉宿や食べ放題などのリーズナブルなサービスも増えたととらえることもできる。確かに失われた10年は日本の経済に深い闇を与えたが、バブル以前にはなかった新しいサービスや販売方法を確立したと考えることもできるのである。

従来、不況といえば消費全体に落ち込みが発生するのに対し、失われた10年においては、従来、みられなかった産業形態の発達や、特定のサービスへと顧客が集中する流行現象など、不況下にあっても好成績を出す業態の存在が注目を集めた。ニッチ市場や高付加価値サービスの発展、あるいは時間的余裕で経済的な不足を補う旅行形態の流行など、いくつかの特徴的な市場の動向も注目を集めた。

2009年11月03日

生物の環境として

砂浜は、基質である砂が固定しておらず、風や波によって変化する上、塩分、乾燥などの条件もあり、生物には暮しにくい環境である。しかし、それだけに、独特の生物相を持つ。特にウミガメの産卵は砂浜に限られる。
また、砂は風によって移動するので、海岸の後背地を保全するために防風林の造成が行われることがある。他方、そのように表面が変形、移動しやすい環境ではあるが、人為的な攪乱はまた異なった影響を与える。砂浜に四輪駆動車などで侵入すると、深い轍が残り、これが海浜植物やウミガメの子供にとって大きな影響を与えることが知られている。日本では海岸法の改正により、2001年から砂浜への車両の進入を原則禁止するなどの措置が採られている。
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河川の護岸による土砂の流出量の減少、河川にダムが作られてダム湖の湖底に土砂の堆積などが起こることによる土砂の流出量の減少、砂や砂利などコンクリートを作る時などに用いられる骨材の採取が進んで砂の絶対量が減少。これらの理由で海に流れ込む砂の量が減り、各地の砂浜で海岸線が侵食される現象が見られる。対策として、波消ブロックの設置、他の場所から輸送してきた砂の投入による養浜が行われている。

例えば三保の松原で有名な静岡市清水海岸では、昭和30年代から昭和40年代初頭にかけて安倍川の砂利採取が行われたことにより、砂の供給がほとんど無くなり、海岸線の侵食が始まった。昭和42年には大規模な砂利採取を止めたものの、その後も侵食がおさまらず、人工岬(ヘッドランド)の設置などの対策がなされている。

2009年10月21日

水分子は

水分子は、電気陰性度の大きい酸素原子に電気陰性度が小さい水素原子が2個結合し、それが折れ線構造をとっている。その構造上、酸素原子にはδ−、水素原子にはδ+といった極性を有する。水分子は、近くの水分子と負に帯電した酸素と正に帯電した水素の間で水素結合を作り、それにより巨大な分子集団であるクラスターを形成しているといわれている。

クラスターはH2Oがn個、上述のようにδ−とδ+によって結合しているが、この結合は6Kcal程度と非常に弱く、磁場の働きで容易に分離するために水の特性が変化するのではないかという仮説がある。
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水の特性の変化は磁気の影響でクラスターが小さくなったからであるという説明もある。磁気活性水の推進者などは、クラスターの大きさは自然界の水で12個程度、水道水で40個程度であり、磁気をあてることによって水分子6個以下まで細かく分解し、これにより水の浸透性・生物への吸収性・物質の溶解性が向上すると主張している。磁場中を通した水を測定した場合、質量の低いクラスターの割合が増えることが観察された。

しかし、一方では水のクラスターモデルについては信頼性のある文献において十分な言及はなされていないという批判がある。お茶の水女子大学のウェブサイトに掲載されているクラスターモデルへの批判は、山形大学教員の天羽優子が公開していた。批判は、科学論文を引用しているが公開された文章については査読が行われた論文ではない。

2009年06月21日

日本の大企業のM&Aの動機として多いのは

日本の大企業のM&Aの動機として多いのは「国際競争力をつけるため」「国内市場競争力強化のため」「破綻企業再生のため」の三つ[2]ともされる。

日本の中小企業のM&Aの譲渡側の動機として多いのは「後継者問題」および「事業の将来性の不安」の二つ[3]ともされる。 日本では昭和30年代、40年代に創業した多くの中小企業の創業経営者が後継者難[4]に直面しており、この問題の解決策として中小企業の友好的M&Aが静かな流行となっている[5]という。非上場会社の経営者が事業の継承を考えた時、選択肢としては「親族または社員への継承」「株式上場」「清算」「M&A」という4つがありはするものの、実際は最初の2つは諸条件をクリアして実現できることは稀で、「清算・廃業」は従業員にとって最悪の選択肢で、結果としてM&Aという選択肢が浮上してくる[6]という。

企業買収の基本的な仕組み [編集]
河川のお話
大阪情報
欧米の美術
ことわざ集
茨城の情報
せの付く言葉
惑星のお話
香り・情報
コインの秘密
知って・マナー
泌尿器科
棚田
弓道
四国
水族館
フラメンコ
昆虫
医用生体工学
上場
バイアスロン

会社の所有者と経営者について [編集]
企業が株式会社等である場合、取締役などが経営者として経営の義務を負い、株主などが所有者として規定(法定又は定款で定める)されている権利を行使することにより、一定の緊張関係を存在させることで企業の統治を行う事で、適切に会社の存在意義と法令遵守が全うされると考えられている(会社法の予定する理想形)。これを所有と経営の分離と言う。具体的には、株主が株主総会において、取締役や監査人の選任、定款記載事項の変更、および株主提案(米国には制度がない)を行い、会社のコントロールを行う事等を指す。経営者の地位は、プロ野球選手と同じ委任契約であり、雇用契約ではない。また所有者の「所有」とは、狭義では法定又は定款で定められた権利行使を約束された権利である(社会通念より弱い「所有」であるのは、債権者保護と間接有限責任の両立が目的であるとされる)。

企業買収とは、一般的には買収者は現在の株主から株式を買い取って新たに株主となり、その会社の「所有」者として経営をコントロールする。株主として配当等の経済的利益を受けるメリットを享受するのが第一の目的とされる(企業のコントロール自体を目的とする場合もある)。

いわゆるオーナー企業で経営者と株主が同じ場合を除き、経営陣は株主に選任されて会社運営を任された立場に過ぎない。買収提案時点での経営陣はそれまでの株主に経営を任された者であるから、買収によって株主が変動することは自らを選任した者たちが株主でなくなることを意味する。取締役は選ばれる立場に過ぎず、本来直接株主の異動に意見を述べる立場にない反面、実際には経営者としての地位保全のためには重要な利害関係を有する出来事となる(私利的な利害)。

経営陣が買収提案に意見を述べるのが正当化されるのは、企業価値(狭義では配当と株価)が維持されるかどうかという目的について、現在の株主に対し買収提案が妥当なものかどうかについての意見を述べるときである。ごく端的に言えば自分の立場が危うくなるから反対するのではなく、株主にとって買収提案に乗ることはメリットがないからやめたほうが良いという現場からのアドバイスという位置づけにすることで取締役は買収提案に反対してもそれが私利私欲に基づくものではないということができることになる。

2009年06月03日

ヨーロッパの交通の要衝に当たっており

オランダはヨーロッパの交通の要衝に当たっており、運輸・通信部門は早い時期から近代化されている。欧州連合の海の玄関口ともいわれるユーロポート港が、ライン川の河口(ロッテルダム)にある。ロッテルダム港には石油精製コンビナートがあり、港に運び込まれる原油はコンビナートを通過し、パイプラインで周辺諸国に輸送されている。

主要空港であり物流拠点でもあるスキポール空港は、2005年には91カ国の260都市へ直行便を持っている。また格安航空は南部のアイントホーフェン空港を主な発着拠点としている。道路は欧州自動車道路の高規格道路によりドイツ、ベルギーなどの隣接国と直結しており、フランス北部からドイツ北部を経由してポーランド方面への主要輸送ルートの一部ともなっている。これら高規格道路(高速道路)の通行料金は現在のところ無料で、最高速度は120km/hである。鉄道はオランダ鉄道が都市間輸送や貨物輸送を担っており、貨物輸送ではロッテルダムからドイツのルール地方への貨物専用鉄道が2007年に完成している(ドイツ側は依然工事中)。旅客輸送ではフランスのパリから最高時速300km/hの高速列車タリスが、ドイツのフランクフルトから高速列車ICEがアムステルダム中央駅まで直通している。国内の都市間鉄道網は欧州でも随一の利便性を誇り、アムステルダムやユトレヒトやロッテルダムなどの主要都市間では10?20分毎のパターンダイヤとなっている。都市内や郊外を結んでいるメトロ、トラム、バスはオランダ国内で同一の運賃支払いシステムを採用しており、公営・民営を問わず同じ回数券やICカードが利用できる。自転車交通も重要な手段の一つで、都市内外を問わず、ほぼ全ての幹線道路に自転車専用レーンが設置されおり、自転車と小型のバイクが走行する。自転車道が無い場合も自転車で歩道を走行する事は禁止されている。自転車道の総延長はおよそ15000Kmで、人口と自転車の台数がほぼ等しく、自転車保有率は世界一。

なお、シェンゲン条約により周辺国との国境では国境審査や税関検査などは通常行われていないため、国境通過による時間的ロスは存在しない。

インターネット接続の普及率は欧州諸国内で最高の約80%(2005年12月?2006年1月欧州委員会調査。欧州平均は約40%)に達している。国内殆ど全ての地域でDSLとケーブルインターネットの高速接続が利用でき、高速接続の普及率は31.9%(2006年、OECD調査)とデンマークに続いて2位であり、日本の20.2%より高い水準にある。DSLとケーブルインターネットのシェア割合は60:40であり、FTTHの普及率はそれほど高くなく、国内最大のプロバイダはKPNである。都市部ではWi-Fiによるインターネット接続サービスも行われている。

携帯電話は国内全ての地域でGSM網(GPRS接続含む)が、大都市及びその近郊で3G網が利用できる。日本のNTT docomoとSoftbank Mobileの携帯電話は、オランダ国内でローミング接続を利用することが可能である(GSM網は対応した携帯電話端末のみ)。最大の通信事業者はKPN Mobileであり、そのほかT-Mobile、Vodafoneが国内でサービスを行っている。
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地上波テレビ放送は2006年にデジタル化が完了している。高画質放送(HDTV放送)はあまり行われておらず、2008年現在標準画質放送(SDTV放送)がほとんどを占めている。放送方式は欧州共通のDVB-T方式で、日本の独自仕様であるISDB方式とは互換性が無い。また、衛星放送も普及しており、オランダ向けの放送だけでなく、西欧・東欧・旧ソ連・中近東の放送も視聴可能である。(日本のNHKや民放を再送信しているJSTVを、衛星放送の一つであるHotBirdを通じて視聴することも出来る。)

2009年04月30日

マティルダ (神聖ローマ皇后)

マティルダ(Matilda the Empress, 1102年 - 1167年9月10日)は、イングランド王ヘンリー1世とその王妃であるスコットランド王マルカム3世の娘マティルダとの間に生まれた王女。同じマティルダの名を持つ多くの歴史上の人物と区別して、モード皇后(Empress Maud、Maud はサクソン語で Matilda)として知られている。

モードは1102年に生まれた。最初に名付けられた名前はアデレードであったが、1114年、12歳で神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世と結婚して皇后(Empress)になったとき、母の名前を取ってマティルダ(モード)と改名した。1125年、夫が死ぬとイングランドに帰され、1128年にフランスに送られて10歳年少のアンジュー伯ジョフロワ4世と再婚した。1133年には長男アンリ(のちのイングランド王ヘンリー2世)を生む。

1135年に父ヘンリー1世が死ぬと、モードは夫ジョフロワと共に後継者に指名されたが、彼女の従兄であるブロワ伯家のエティエンヌがロンドンに入ってイングランドを掌握し、イングランド王スティーブンとなった。スティーブンはヘンリー1世の生前に王位を要求しないことを誓約していたため、モードは誓約違反をローマ教皇に訴えでたが、スティーブンはローマ教会と友好関係にあったために却下された。しかし、王位奪取の過程で教会と封建諸侯に数多くの譲歩をしたスティーブンの王権は次第に諸侯の統制を失い、1139年、モードはスティーブン王との間の戦争を始めた(スティーブン王の治世は安定する事がなく内乱に明け暮れたため、無政府時代と呼ばれている)。

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モードを支持する彼女の異母兄(ヘンリー1世の庶子)グロスター伯ロバート率いるアンジュー伯派は、1141年にスティーブン王を破り、王を捕虜とする勝利を挙げた。しかしモードはスティーブンを廃位して王位に就くことはできず、「イングランド人の女領主」(the Lady of the English)の称号を名乗るにとどまった。同年中にスティーブン王は解放され、まもなく内戦は再開する。スティーブン王は全くイングランド全土に対する権威を失っていたが、アンジュー伯派も国王派を制圧することができなかった。1147年にグロスター伯が死去したことにより、強力な支持者を失ったモードはフランスに帰った。1151年にはモードの夫アンジュー伯ジョフロワが死去し、アンジュー伯派の力は著しく衰える。

しかし、モードの長男アンリが成長するとともに再びアンジュー伯派は力を得はじめた。アンリはノルマンディー公・アンジュー伯・アキテーヌ公を兼ねてフランスに大勢力を築くと1153年、大軍を率いてイングランドに上陸し、スティーブン王と和解して、イングランド王位継承者として承認された。スティーブン王は翌年死去し、アンリがヘンリー2世としてイングランド王位を継承してプランタジネット朝(アンジュー朝)を開く。

モードはフランスにとどまったまま、1167年に死去した。

モードのアンジュー伯派とスティーブン王派との間の内戦の時代のイングランドは、エリス・ピーターズの小説、修道士カドフェルシリーズの舞台となった。


2009年04月16日

耶律楚材

耶律 楚材(やりつ そざい、1190年 - 1244年)は、初期のモンゴル帝国に仕えた官僚。字は晋卿。禅に深く帰依し、湛然居士と号した。モンゴル名はウルツサハリ(「髭の長い人」の意)。

生涯 [編集]
楚材の家は遼(契丹)の太祖耶律阿保機の長男である東丹国の懐王(義宗・天譲帝)耶律突欲(とつよく、または図欲=とよく、漢姓名は劉倍)の九世の末裔とする遼の王族出身であり、出自は契丹人であるが、代々中国の文化に親しんで漢化した家系である。遼の滅亡後は金に官僚として仕え、祖父は耶律聿魯で、父の耶律履は金制においては宰相級の重職である尚書右丞に昇った。楚材は父が高齢になり、三男(末子)として生まれた子で、3歳の時に父が61歳で死んだため漢人である生母の楊氏に厳しく育てられた。また、異母兄の耶律弁才・耶律善才は彼よりも20歳も年が離れていたが、彼は生母と共に兄達から養われたという。

成人すると宰相の子であるために科挙を免ぜられ、代替の試験を首席で通過して尚書省の下級官僚に任官した。モンゴルが金に侵攻したときは首都の中都(現在の北京)で左右司員外郎を務めていたが、1214年に中都が陥落したとき捕虜となった。楚材は家柄がよく長身長髭で態度が堂々としており、中国の天文と卜占に通じていたためチンギス・カンの目に止まり、召し出されて中国語担当の書記官(ビチクチ)となり、ハーンの側近くに仕えることになった。1219年からの中央アジア遠征でもチンギスの本隊に随行してもっぱらカン側近の占星術師として働き、そのときの体験と詩作を『西遊録』に残した。

チンギスの死後に後継者を巡ってクリルタイが紛糾すると、チンギスの遺志を尊重してオゴデイを立てることを説き、オゴデイの即位に大きく貢献したとされる。ただし、モンゴル貴族ではない楚材がクリルタイに出席して発言権をもったとするには無理があり、この話は中国で書かれた史料にしか伝わっていないことから、この逸話は疑わしいという説もある。

オゴデイが即位すると、新ハーンにも書記として仕え、中国語で中書省と呼ばれた書記機構の幹部となり、北中国の金の旧領の統治に携わった。楚材は、あるモンゴル軍人が、華北の大平原を無人にすれば遊牧に適した土地になるから捕虜とした中国人を皆殺しにしようと進言したのを押しとめ、捕虜たちを「万戸」と呼ばれる集団に分けて3つの万戸を置き、各万戸ごとに農民・職人など職業によって大別した戸籍をつくって、戸単位に課税する中国式税制を導入させた。新税制の導入によりモンゴル帝国は定住民からの安定して高い税収を得ることができるようになり、オゴデイはこれに感嘆して楚材を賞賛したという。

1234年にモンゴルが金を最終的に滅ぼし北中国を併合した後には、中国式に全土をハーンの直轄領にするために、モンゴル貴族に征服した領土を分与することに反対したが、これは黙殺された。また、儒学を家業とする家を「儒戸」に指定する制度を考案し、税を軽減するかわりに儒教の学問と祭祀と行わせ、実務官僚層の供給源とした。オゴデイは中国の歴代王朝にならって孔子の子孫を保護するが、これも楚材の進言によるとされる。

しかしオゴデイの晩年には、西アジア式に人を単位として課税する人頭税制度を中国に導入することを説く中央アジア出身のムスリム(イスラム教徒)財務官僚層が台頭して中国行政について干渉するようになり、伝統的な中国式統治システムを維持しようとする楚材らの派と対立した。結局、西アジアの財務官僚に任せる方が単純に収入を確保しやすいことからモンゴル人は彼らを重用するようになり、楚材らは信任を失っていった。

1241年にオゴデイが没した後はほとんど発言力をもたず、その3年後失意のうちに没した。楚材は清貧の美徳を守ったので、その遺産は琴と書物が残るばかりであったという。詩作をよくし、詩集に『湛然居士集』がある。

梁氏が産んだ長男の耶律鉉が30前後で早世したために、鄭氏が産んだ末子の耶律鋳が跡を継いだ。後に鋳は嫡子の希亮と共にクビライに仕えて中書左丞相に上ったため楚材は再評価され、太師、上柱国を贈られ、広寧王に追封されて文正と諡された。

楚材の虚実と毀誉褒貶 [編集]
耶律楚材は中国や日本において、古来非常に高く評価されている。これは、モンゴル帝国の最初期において、いまだ国家の体制も定まっていない遊牧民の連合政権であったモンゴル帝国に中国の文人官僚を代表して仕え、中国統治の実務担当者として活動したとされることによっている。

しかし、さらに進んで耶律楚材はチンギスの最も信頼できるブレーンであったとか、オゴデイの時代に大ハーンを補佐し、モンゴル帝国の拡大を支えた宰相であったとされているのには若干の問題がある。このような見方に対するもっとも根本的な反論としてあげられるのは、楚材はチンギスの中央アジア征服をモンゴル帝国の歴史を記した網羅的な歴史書である『集史』をはじめとするペルシア語の歴史書に一切名前が登場せず、東アジアの中国(漢文)史料にしか名前があらわれないことである。

また、従来は楚材がチンギスの中央アジア遠征に随行し、様々な助言を行ったことからチンギスに参謀として仕えたとされていた。しかし、それ自体が楚材を高く評価している『元史』「耶律楚材伝」ですら、楚材がチンギスに対して天文の占いと予言以外の仕事をしたことを伝えておらず、『元史』以外の中国史料においても、書記、通訳以外の業績が一切伝わっていない。楚材自身「自分は書記であって軍国の議には預かることはできない」と自ら述べたこともある。

また、楚材をモンゴル帝国の宰相とみなすのは、オゴデイ政権期の楚材の肩書きが中国語で「中書令」と呼ばれていることによる。中書令は唐以来、最高位の宰相職であり、モンゴル帝国においてものちのクビライ時代に皇太子・チンキム(真金)が中書令に就いている。しかし、クビライの時代とことなってオゴデイの時代には中書省は宮廷に付随した書記(ビチクチ)の文書行政処理機関といった程度の役割しかなかったのが実態であり、その長官の中書令といってもそれほどの重職ではない。しかも、南宋からモンゴルに送られた使節が書いた報告書から、楚材ら漢文担当の書記が書いた勅令も、ウイグル文担当の書記・鎮海(チンハイ、ケレイト族出身)がサインをしなければ発効しなかったことが明らかにされている。

従って、中書令耶律楚材は、実際にはモンゴル帝国の北中国(旧金領)方面の文書行政を司る中国語担当の書記のリーダーであった、というのが実態のようである。しかも、当時の北中国は金滅亡後の混乱に乗じて台頭し、モンゴルの支配下に入った中国人の軍閥(漢人世侯)が在地権力を握っており、またモンゴルの貴族達がその上級領主として君臨していたので、楚材の権限は非常に限られたものであった。

日本のモンゴル史学者、杉山正明は、著書『耶律楚材とその時代』(1996年)で楚材に関する碑文や楚材自身の書き残した文章の分析から、楚材が宰相として中国人から賞賛されたのは、楚材自身がそのような虚栄を好む小人物であったからだと結論し、楚材の人格も否定的に論評している。

一方、陳舜臣の小説『耶律楚材』(1994年)のあとがきでは、次のように記されている。

「この作品で利用した資料は、楚材の著作をはじめ、すべて漢文の文献である。モンゴル史は、漢文だけでなく、ペルシア文献も参照すべきであるが、不思議なことに、ジュワイニーやラシードなどのペルシア文献には、耶律楚材の名はまったくでてこない。なかには、彼はそれほど重要な人物ではなかったと推測する人もいる。だが、彼の詩文を読んでも、たとえば息子の鋳が十五歳になったときに与えた詩に、「忝なくも位は人臣を極め」とあるように、彼がモンゴル政権の中枢にいたことはたしかである。

おもうに彼の努力は、儒仏に根づいた文明と人名を、大破壊から守ることに集中されていて、戦争が上手であったのでもなく、税収の成績をあげたのでもない。イスラム史家の立場からみれば、楚材にはしるすに足る業績がなかったことになる。

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